Model Airplanes - California 1991-92

パロアルトのあたりは、それなりに込み合っていますが、Mountain ViewのAmphitheaterの駐車場で飛ばすことができました。すぐ隣にAdobeの本社があります。Banzee Jumpをやっている人もいました。1992年ころは、カリフォルニアの旱魃の最後の年くらいで、ほとんど雨が降らず(写真は例外)、週末の天気に頭を悩ますことがありません。

湾岸戦争の直後で、Patriotなんて言うモデルができたのだと思います。重いですが良く飛びました。アメリカのラジコンモデルはどれもとても重いが頑丈。まさにグラマンとゼロ戦の違いの文化の差は健全です。エンジンやラジオは、ほとんど日本製です、というか、日本製が一番高級品。当時は、Japan As Number Oneでした。
プロポのモードが日本とは違います。 右の指でエルロンとエレベータ、左の指でスロットルとラダーを操作するという、本物のヒコーキと同じ設定になっていて、 日本式にあわせるのに苦労しました。

ある日曜日に飛ばしていたら、アメリカ人の初心者とおぼしき人が、40クラスの高翼機を持って現れ、私に、「飛ばしてくれ」と言います。ええっ!私もあなたと変わらないくらい初心者なのに。プロポのモードが違うからよう飛ばさない、と断りました。

下の写真は、3ヶ月くらいかけて作ったPatriotで、エンジンは46でした。作っていくうちにどんどん重くなるので驚きました。よく飛びましたけどね。 私は、安物のラジオを使っていたので、混信してこのヒコーキは10回程のフライトの後、落ちてしまいました。

チャネルは日本の数倍あります。同時飛行もOK.FMが多くて、PCMは高級品でした。


 


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